いいえ、そんなことはありません
契約は、口頭 (口約束) やメールでのやり取り、チャットなどでも成立します (但し、後述するように例外もあります)。民法では「諾成契約主義」により、当事者間の申し込みと承諾によって成立します (民法 522条)。ほとんどの方は、「契約書を作成し、実印 (代表印) を押したものを交わして始めて契約が成立」と思っていらっしゃるのではないでしょうか?
例えばお店で物を買うとき、「この PC を 10万円で売ります」「わかりました」のように値段が提示され、その代金に納得すれば、それは「売買契約の成立」です (民法 555条)。
契約書の意味
前例のような、お店での売買で実際に契約書を交わすことはありません。ですが、高額な売買や業務委託などでは契約書を交わすのが普通です。ではなぜ、契約書を交わすのでしょうか。契約書を取り交わす意義は、主に以下の 2点です。
- 証拠保全 (民事訴訟法上の証拠能力)
口頭で契約が成立したとしても、後日「そんな覚えはない」「約束した条件と違う」などのトラブルが起きることはままあります。口約束では、契約の内容を立証できないことが最大のウィークポイントとなります。契約書を交わしておけば、約束内容の「証拠保全」となります。 - 合意内容の明確化・誤解防止
口約束では、条件の細部についてお互いに誤解したまま後にトラブルになることがあります。これを防ぐため、契約内容を明文化し、契約書として残します。すなわち、誤解等に対する「リスク回避」の効力があります。 
上記のように、契約書は契約の成立要件ではなく、証拠手段にすぎません。しかしながら、例外もあります。たとえば「要式契約 (書面が無ければ効力を生じない)」の典型は保証契約 (民法第446条第2項) や、定期借地・定期建物賃貸借等の制度的要件がこれに当たります。また、特定商取引においては特定商取引に関する法律第15条の3などにより「書面による契約内容の交付」が義務付けられています (例えば消費者に契約内容を書面または Web で容易に確認できる形で開示することが義務付けられています)。
契約書に署名や押印は必要?
では、契約書に「押印」は必要なのでしょうか? 繰り返しになりますが、前記のように契約書は必須要件ではなく、証拠力を担保するためにあります。次に問題となるのは、その証拠能力の高さ (契約内容の確からしさ) になります。従来はこれを実印や代表印によって担保するのが商習慣でした。署名 (手書き署名) があった方が証拠力は高いですし、三文判より実印の方が証拠力が高いのは、感覚的にも理解できるでしょう。三文判であれば誰でも入手・押印できますが、実印であれば印鑑証明書によって照合もできます。
実は、押印に関しては 2020年の民法改正およびデジタル改革後の脱ハンコ政府方針により、契約の成立要件でも効力要件でもなくなりました。手書き署名でも有効であり、十分な証拠能力として認められます。
電子署名の登場
一方で、電子署名法第3条により、デジタル署名 (以下電子署名) は手書き署名に代わるものとして、同等の効力を持つものとされています。これは、電子署名法3条の「推定効」と呼ばれるもので、一定の要件 (固有性など) を満たす電子署名がある場合に、そのデジタル文書を「真正に成立したものと推定する」と規定しています。
脱ハンコとともに、電子署名法第3条を応用することで、電子署名されたデジタル文書は、従来の実印・代表印が押印された紙文書同等の証拠能力を得たことになります。
電子署名の証拠力
電子署名にも証拠能力の高低があります。電子署名には、電子証明書というデジタル版印鑑が必要です。電子署名と電子証明書の関係は、こちらに簡単な解説を掲載しています。電子証明書は印鑑に相当しますので、三文判相当のものから、実印相当のものが存在します。電子署名で証拠能力を高めるには、実印相当の電子証明書を用いることが妥当でしょう。
三文判相当の電子証明書とは、メールアドレスの疎通確認だけで発行できるような簡単なものです。実印相当の電子証明書は、一般的に適切な本人確認を経た上で発行されます。電子証明書の世界標準を定めている C/A Browser Forum という団体により、適切な電子証明書発行業務基準 (本人確認など) が求められる、いわゆるパブリック証明書は、より高い証拠能力を持っていると言えます。電子署名法3条は、本人確認などの厳密さまでは求めていませんが、証拠能力が高いに越したことはないでしょう。
電子帳簿保存法との関係
一方で、会社法 (旧商法) では、商人間の取引では「商業帳簿」「取引書類」を整備し保存する義務を定めています。これは、後日の紛争防止・証拠確保の趣旨で、実質的に契約書保存の慣行を支えています。電子帳簿保存法第4条では「取引に関する電子データは、適正に保存すれば書面保存に代えることができる」とあり、実質的に契約書を pdf 等で保存することが合法的に認められちています。電子帳簿保存法に関しては、当コラムでは詳細には触れません。
裁判などになった場合
パブリック証明書は、発行に際して本人確認のために提出頂いた書類 (免許証、保険証など) を安全な措置を取った上で保存しています。裁判など係争事になり、電子署名の確からしさ (証拠能力) が問われた場合は、これら本人確認書類を証拠として用いることで証明できます。これを、真正性と言い、電子署名法3条の推定効の元となります。
また、裁判では「契約書」だけが証拠になるわけではありません。契約に至るメールのやり取り、チャットのスクリーンショット、メモ、第三者の証言など幅広いデータが証拠として採用されます。こう言った観点から、メールにも電子署名 (S/MIME 署名) を付加することも有効でしょう。また、「見積書 pdf」を先方に送り、相手方から「了解した」とのメールが来れば、原則それで契約は成立しますので、見積書、発注書、請書、請求書などの文書も「広義の契約書」と見なすことができるでしょう。
従来の商習慣は長く使われてきたもので、それ自体に「安心感」があることは確かでしょう。しかし、リモートワークなどの普及やコスト削減などを理由にペーパーレスが進むことで業務の効率化が進むことも確かです。あらゆる文書を電子化し、電子署名を付加することが重要になって来るでしょう。
※ 文中にも書きましたが、法令等により、文書 (デジタル文書) として作成することが義務付けられているもの、電子化が未だ許可されていない文書、許可されていても様式が指定されているものもあります。例えば国や自治体への入札などで、利用できる電子証明書が限られているものもあります。詳細は関係法令を参照してください。
※ 電子契約のプラットフォームとして「当事者型」と「立会人型」がありますが、このコラムではあえて触れていません。
2025年11月